個人セッションでは『チャネリング』という方法でカウンセリングを行っています。
その理由は、セッションを受ける方(クライアント)自身の目的に焦点を当てて、”今知るべき内容”をわかりやすく、ダイレクトに伝える事ができるからです。すると、無意識の中にある「本当の答え」が意識化できるので、行動が取りやすくなるだけでなく、ホッとして滞りがほぐれ、からだ全体が本来のバランスを取り戻します。
『チャネリング』という呼び方はオカルト的な響きがあるので、個人的には好きになれませんが、一般的にそう呼ばれているのでこの名を使っています。この方法でお話しする事で、私自身の体質にとって無理がなく、とても自然な形で皆さんのお役に立てるので、これからも、この方法でカウンセリングを行っていくつもりです。
時々、セッションを受けた方から、
「そのチャネリング技術は、ヒーリングを学ぶ中で身につけたのですか?」と聞かれるのですが、正確には高校生の頃からその感覚を持っていました。
気付いた当初は、得体の知れないその感覚が怖くて、つい閉じてしまったのですが、ヒーリングを学ぶことで、その感覚を受け止めるための「体」が安定したので、再び感覚を開くことができました。
ヒーリングを行うには、ヒーリングのエネルギー場に安定して立てるようになることが必要ですが、安定して立つためには、心と体…その人の存在全体が安定する事が、ヒーリング技術の向上と深く関わってきます。
つまり、行う人自身の在り方そのものが”技術”です。”技術”が安定すると、繊細な感受性が支えられ、繊細ゆえの弱さが強みとして存分に発揮できるようになるので、私と同じような霊体質の方や感受性の強い方にはぜひ学んでいただきたいな、と思っています。
元になった出来事
あれは高校2年生の時、16歳でした。
当時の私は、右の脳の奥に「管(くだ)」のようなものが見える、おかしな感覚に悩まされていました。
その管の先は開いていて、広大な白い空間につながっていました。その空間から、まるで誰かがこちらに話しかけてくるような、不思議な「意図」が流れてくるのがわかりました。
言葉はありません。でも、確かに何かが伝わってくる。それに気づいたとき、とても気味が悪くなりました。それが何なのか、自分に何が起きているのかまったくわからず、ただ「怖い」としか思えなかったのです。
そんな違和感を抱えたまま過ごしていたある日。部活動の合奏中に、あの感覚が再びやってきました。私は吹奏楽部でドラムを叩いていたのですが…。曲は確かディズニーメドレーだったと思います。演奏は普段通り順調で、特に問題なく進んでいました。
しかし、フィルイン(譜面に示された即興の箇所)に差し掛かったその瞬間。突然、頭の中が真っ白になりました。そして、右脳の「管」から、信じられないほどの勢いで音符が流れ込んできたのです。
そのリズムは、一見バラバラなようで、実は即興として完璧に成立していました。驚くほど格好良いそのリズムは、流れるままに演奏すれば素晴らしいアドリブになるはずの音たちでした。
でも、私にはできませんでした。
当時の私はとても内気で、自己表現が何より苦手。演奏に身を委ねることが怖くて、恥ずかしさが一気に押し寄せ、咄嗟にその「管」を閉じてしまいました。そして、何事もなかったように譜面通りに叩き、合奏は終わりました。
時間にすればほんの数秒の出来事。でも私にとっては、かなり大きな衝撃でした。演奏が終わったあと、私は少し落ち込みました。何かを偽ってしまったような、自分を認めきれなかった後味の悪さが、ずっと残りました。
けれど、その感覚が何なのかもわからなくて、ただ怖くなり、管とのコンタクトを自分から閉じてしまったのです。
そしてその一年後──17歳の秋。ある晩から突然、過呼吸の発作に見舞われ、病院に行くと医師から「うつ病」と診断されました。
更にその4年後ヒーリングに出会い、師匠(湯川さん)に霊媒体質だと言われるまで、この話は誰にも話しませんでしたが、
うつ病に罹った理由の一つは、もしかしたら”右脳の管”を閉じてしまったから、なのかもしれません。